電本カリスマ in はてな

ブログ「電本カリスマ.com」の別荘。本宅へのお誘い用。だからユル~く、わかりやすくつぶやきます。

★友達やFacebookページは、なぜ、消えるのか? 「フォロー」こそ影の主役だ!!

 

ニュースフィードの常連がいつの間にかフェードアウト。
そういう現象はなぜ起きるのだろうか。
Facebookに限ってそうなりやすいのはなぜなのか。
「現象」があれば必ず原因がある。

今までは「アルゴリズム」で説明された。
あなたと友達(またはグループやFacebookページ)との交流度合いによるのだ、と。
それも間違ってはいない。
間違ってはいないが、満点の答ではないようだ。

アルゴリズム」に加えて、もっと積極的な機能があるのだと思う。
それが「フォロー」だ。

友達やFacebookページ、グループの投稿がなぜあなたのニュースフィードに登場するか、ご存じだと思う。
ユーザやFacebookページ、グループをあなたがフォローしているからだ。
その「フォロー」が切れているとしたら?
人為的にせよ、偶然にせよ・・・・。

「フォロー」がなければ相手のニュースフィードには投稿が届くはずがない。
フォローとはめざす対象の投稿とあなたのニュースフィードをつなぐロープだから、切れていれば役割を果たせない。
そのロープをユーザーの意思で切れるようにした。
それが「フォローをやめる」だ。

一方、こちらはほとんど知られていないのだが、Facebookは4ヵ月ページやグループ、アプリに接触しないでいると、「フォロー」自動的に切ってしまうという仕組みをもっている。Facebookが勝手にフォロー外しをするのである!

しかし「友達」の場合は、さすがに傲慢なFacebookでもフォローを外さない。
一応「友達は大切」という姿勢を見せている。
ところがそれは見てくれだけだ、というのが私の今回の発見だ!!
「友達のフォローは外さない」と言っても、それは形式的にフォローが継続しているにすぎない。実質的にその「フォロー」はなんの力も持っていない。
もはや、ニュースフィードにその友達の投稿を表示させる力は持っていないのだ。

どうりで友達やFacebookページ、グループの記事がニュースフィードからフェードアウトしていくわけだ。

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あまり知られていない「フォロー」という仕組みについて解説した。

Facebookのうっとうしい友達と無理なく縁切りする“ベストな”方法。「知り合い」と「フォローをやめる」を使え!

<★Facebook、ベストな閲覧制限はコレだ!「知り合い」と「フォローをやめる」を併用>

 

Facebookの閲覧制限は、「ブロック」から始まり、「制限リスト」や「カスタム設定」などいろいろある。
今まで私はこのテーマで何回か書いてきた。
「制限リスト」がベストだ、と思った時がある。
いや、「知り合い」の方が使える、と思ったことも。

 

いずれにしても私は、人を締め出すような“制限”という発想はあまり好きではない。
「制限リスト」は確かによく考えられた制限機能だ。
だから「制限リスト」について書いた時の反応が一番よく、今も読んでくれる人が多い。
しかし反応が良い半面、Google検索などを見ると「制限していることがバレる?」と気にしている人が多いのも特徴だ。

 

こういう現象を見ると私は複雑な思いがわく。
『気にするくらいなら、制限なんてやめればいいのに』と思う半面、
『いやいや。Facebookにまでふだんの人間関係が持ち込まれたら、それはうっとうしいだろう』という気持ちも起きてくる。
一方で、制限される人の気持ちを考えるとじりじりとした気持ちにもなる。
どんな場合でも、人から避けられるのは気持ちよくない。
ましてや、少しでもいじめの感情がある場合には、避ける者、制限する者に対して「ケチなことするなよ」と言いたくなる。

 

双方にいろいろな感情がありそうだ。
たかがFacebookなのに。
なんとか両方の立場を理解した上で、上手に袂(たもと)を分かつ方法がないだろうか。

 

以前から友達の一形態である「知り合い」という“立場”は「使える」と思っていた。
Facebook独特のアルゴリズムにマイナスのバイアスを加えて、相手の投稿した記事の表示を抑え気味にするという設定だ。
これに加えて、2013年末に「フォローをやめる」という新機能が追加された。
フォローそのものをやめてしまうのだから、当然、相手の投稿はニュースフィードに届かなくなる。こちらからの反応はゼロになるから関
係性は急速に冷える。関係が冷えれば、自分の投稿も相手に届きにくくなるだろう。
「知り合い」と「フォローをやめる」を併用!

 

こういう間接的な方法が一番具合がいいようだ。
制限をしていることがバレる気遣いはほとんどない。
気づかれないのだから相手を傷つける恐れもない。
大人のやり方だ。

 

うっとうしい友達とストレスなく縁切りするならこの手順が一番!
考え抜いてこういう結論を出した。

 

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★スマートフォンでFacebookの設定を100%完結させる法!

★スマホでFacebookの設定、100%OKだ!「m.facebook.com」を強くおすすめ !!

 

 

最近はスマートフォンだけでFacebookをはじめさまざまなSNSをやっている人が多い。
私のブログ(「電本カリスマ.com」)の場合、アクセスしてくれる80%はスマホを使っている。パソコン母完全に少数派になっている。

 


『あの長い記事をよくマホで読んでくれなぁ』とわがことながら感心してしまうのだが、それで思いついたのは『Facebookならもっとだろうな』ということである。が、その割にスマホアプリで見るFacebookは、お世辞にも親切設計とは言えない。

 


パソコンでは設定項目があるのに、アプリにはなかったりする。それもしばしば!
ニュースフィードをカスタマイズする際に欠かせない「トップに表示」の設定は、アプリ版では姿を消している。PC版Facebookにはカバー写真下にあって、すぐ気づく形になっているのに。さらにFacebookを気持ちよく使うために欠かせない「制限リスト」も設定項目そのものがない。まだまだ不満があるが省略。

 


ところが、アプリ版と外観は酷似しているのだが、スマホFacebookを見るにはもうひとつの方法があって、それが「m.facebook.com」なのだ。これはアプリではない。「携帯電話向けサイト」である。サイトだからURLを持っている。初めて使う場合は「m.facebook」とググってみればいい。

 


このサイトがなぜおすすめなのか。
それは「m.facebook.com」ならFacebookの設定が100%できるからだ。
設定項目がアプリ版より多彩であるし、スマホ画面で「パソコン用のFacebook画面」が見られるので、PCでできる設定はすべてスマホからでも設定できることになる。

 


具体的なやり方はブログをご覧ください。

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★自費出版を頼む前に①|「出版」の表と裏をご案内

自費出版とは編集

 

 

 

自費出版」のことを書きたい。
3回にわたって出版業界、自費出版の概説を書く。
今回はあくまで概説、大まかに問題点やそれへの対処の仕方についてのみ触れる。
「本の原価」など数字を入れた詳報は順次追加し、シリーズ化していくつもりだ。

 

自費出版の適正価格がわかりにくい

私は出版人のひとりだが、自費出版をめぐる出版業界の有様をよいとは思っていない。自費出版の費用があまりにあいまいであり、一部「不当」な価格がまかり通っている。
一方、お客様側(著者になりたい人)の問題もある。この業界への知識が不足している。これはもちろんお客様の罪ではない。説明責任を果たしていない出版業界の罪である。

 

といっても、現在のこの業界は本をつくることに急で、他を省みるいとまがないようだ。業況を見れば、本は低価格志向のワナに自らはまり、自転車操業で汲々としている。そうした中で、大手、準大手でも自費出版ビジネスに活路を見いだす社も出ている。こういう出版社は知名度を活かして(?)、総じて製作費用は高めの設定が多い。

 

一方、自費出版専業の出版社も数多くあり、こちらもコストはかなり割高。
もうひとつの動きとしては、オンデマンド印刷を活かし割安価格をうたう会社もある。さらに電本・電子出版に乗り出している会社もあり、大小の社がひしめきあっている。
残念ながらこうした動きは「点」としては誰にも明らかなのだが、全体を見渡して、「では私の出版はどうしたらいい?」への答えが見いだしにくい。

 

つまり自費出版の適正な価格(費用)がわかりにくいのだ。
“良い本”の定義もわかりにくいし、”良い自費出版”がなんであるかもあいまい。
自費出版の費用は出版後の事情によって変わってくる。
▼本にするだけなのか、▼売りたいのか、▼書店に置くのか、▼置くのは全国なのか、近所の書店でいいのか、▼Amazonはどうする?▼電本化の対応は?―――などなど。
それらにより刷り部数が変わり、流通のさせ方によって費用は増減する。

 

もちろん本には製本・印刷の出来不出来があるし、ページレイアウトの良し悪し、
もっと重要な点として、出版社がどこまで文章を読み提案するかの「編集」の問題もある。本づくりは単純におカネの多寡だけではないのに現状、著者候補たるお客様たちは、出版にまつわるさまざまな知識がないばかりに、コストにしか関心がない有様だ。

 

だからまことに非力ながら、少しずつ出版業界の現状をお伝えしようと思うのだ。
私は出版社を創業して2年半、業界のことをことごとく知っているわけではない。
しかし偽らずに体験を語ったり、意見や見解を率直に述べる勇気はある。
お客様にはこの業界のことをよく知ってもらいたい。
その上で文章を書き、本にする意欲を持ち続け、幸せな出版を実現してほしい

 

■「流通の問題」など出版業界は複雑だ

出版業界は複雑だ。
何が複雑かといえば、本が流れるルート、つまり「流通」が複雑である。
孤立する著者――ひしめく出版社――巨大な取次――マンモスから極小までの書店、
再販売制度に守られ「委託」の形で本が書店に一時的に置かれ、返品自由な商慣行・・・・。

 

まだある。
もっとも重大な欠陥、本を取り巻く世界は「価格」があいまいであるということ。
まえがきに書いたように、「価格」といっても本の定価のことではない、
本を出版しようというお客様からいただくおカネ=「出版費用」のことである。
本の世界は出版社がコストを丸抱えしリスクを負う「企画出版(商業出版)」と、
著者がコスト(出版費用)を払い出版社のリスクゼロの「自費出版」とがある。

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著者の中には支払うどころか「印税」として”稿料”をもらう人がいる(企画出版)。
その一方、多くの人は100万、200万、時には数百万円!出版社に支払い本を造ってもらう。
この差は何か? 作家と一般の人、プロとアマチュア、原稿の内容、文章の巧拙・・・・
何もいわれなくても私たちは、「差があるから金額に違いが出て当たり前」と思っている。

 

ほんとうですか?
そういう風に思い込まされているだけなのでは?
もの書き、プロ。文章1つで食っていける人がプロフェッショナルだとすれば、
日本に何人いる? 本や雑誌に文章を書くだけで生活ができている人が?
ほんの数えるほどの人たちにすぎない!

 

日本では年間7万冊の本が出版されるという。1日200冊の新刊が書店に回る。
その大半が”アマチュアの本(アマチュアが書いた本)”だ、と私は思う。
出版業界はその意味では、アマチュアがいるから成り立っている。
大学の大先生がアマチュアか? そんなことは言っていない。
専門分野においてはプロだろう(そうでなければ困る)。
しかし「著者・著述家」としてプロなのか? 違うと思う。私たちと同じだ。

 

一部のまれな文章センスをもった人を除いて、学者の文章は硬い。
しかし内容には見るべきものがある、その論や主張、実績は売り物になるかもしれない。その場合、編集者が手取り足取りして本に仕上げ、営業をし、広告して世に送り出す。
出版社が企画の本とするにはさまざまな要素、条件、理由があるはずだ。
そういう要素、条件、理由の一切を省いて、なぜ本にするのかと一言でいえば、
「これを本にすれば売れる(かもしれない)」と出版社が判断したからだ。

 

出版社は売れる本をつくりたい。売れる著者を常に探している。
だから「書ける人」はいないかと、あらゆる媒体・メディアに目を光らせる。
逆に言えば誰にも、市井にいるあなたや私も、誰かも――、著者になるチャンスがある。
大半が物書きとしてはアマチュアだが、”何か”をもっている人が探されているのだ。

 

だが多くの人は埋もれたまま、見い出されないままに終わる。
その中のごく一部の人は「本を書きたい」と熱望しているかもしれない。
私には書く資格がある、世に訴えたいものがある、才能を見てほしい、と・・・・。
チャンスはあるのだ。

作家志望者は何回も「〇〇賞」に応募しチャンスをうかがう。
ビジネス関係の本では、自薦、他薦、多くが出版社に「企画にならないか」と持ち込む。

 

■市井の人の出版意欲を食いものにするな!

本を書きたい人の動機はさまざまだ、何かの分野のプロ、作家志望ばかりではない。自分の人生を振り返る人がいるだろう、地域史など特定分野の研究家、趣味に強い人、富士山を撮り続けるアマチュア写真家、絵やイラスト、詩や短歌・俳句・川柳・・・・、作品を形にして残しておきたい人、会社や製品を世に出したい経営者、個人事業主、社史の需要もあるし、創業の精神を遺したい人、秘伝を伝えたい職人もいるかもしれない。

 

こうした中で企画本(商業本、出版社が自社のコストで出版する本)になるのは少ない。
売れなければコスト回収ができず「採算に合わない」から企画本の対象にしない。
ではこれらの本は企画本より価値が低いのだろうか? そんなことはない。
商業本としては見合わないが、すぐれた価値を持つ本は少なくない。

 

だからこそ「自費出版」という形がある、と私は思う。
日本の、今の文化を伝えるものとして自費出版の本はなくてはならないものだ。
だからこそ、国会図書館にすべての本を献本するという制度が日本にはある。
本は時代を超えて人間の営みや英知として遺されるべきもの、という考えだ。
だからこそ――市井の人の出版への意欲を”食いもの”にしてはならない

 
 

■「共同出版」も契約書を精査してから

出版業界は参加者は多いが(年々減り続けているがそれでも3600社)規模は小さい。売上高トップは集英社で1318億円(2012年度)だが、200億円超で10位入りする。営業利益だけで1兆円を超える社がある3社寡占の通信業界などとは大違いだ。従業員数は数千人の会社から1人社長の会社まで。
それでいて「大」がつくるから良書で、極小の社の本はお粗末、ということでもない。

 

出版業界は小粒の会社のすそ野が広いのがむしろ長所といえるかもしれない。
小出版社だが志が高く、価値のある本を造り続けている社も少なくない。
この辺も読み手や著者(希望者)からすればわかりにくい。
大手だから自費出版を任せて大丈夫とは言えないし、弱小だからダメともいえない。

 

「大丈夫」「ダメ」の基準もよくわからない。
装丁やページレイアウトなどの編集力もあるし、書店流通や営業力のこともある。
そして誰しも気になる「いくらで本をつくり満足できたか」という費用対効果の点。すべてが揃っているから割高ならわかるが、現実にはそうとは言えない事例も多い。

 

さらに最近は「協力出版」「共同出版」という名の、費用は著者に出させるが、
営業は出版社、費用は自費出版より安く、印税も払うという”不思議な”出版形態もある。
単純に「内容がいいからおまけしてくれた」と考えればいいが、実際に割安なのか? 刷り部数は適正か? 本は書店に並んだのか? 売れ残った本は誰の物か? 倉庫費は?
など、著者の目で”共同出版”をチェックしていくとおかしな部分が出てきたりする。
納得した上で契約するならいいが、出版意欲につけ込まれるのでは悔しい。

 

出版をめぐる問題、業界の有様など、わからないこと、知らないことが多すぎないか? 本を書きたい人は、ぜひ関心をもってこのシリーズを読んでいただきたい。